観音さま

衆生しゅじょう無辺むへん誓願度せいがんど…ありとあらゆる衆生しゅじょうを救う。菩薩ぼさつさまの誓い。

大坂三十三ヶ所観音巡り 第九番札所

 「大坂三十三ヶ所観音巡り」は江戸時代の寛文年間(1661-1672)ごろに成立しました。大阪市中心部を時計回りに第一番札所・大融寺から第三十三番札所・御霊神社まで、29ヶ所の寺院と4ヶ所の神社を巡ります。西国三十三ヶ所のお遍路と同じご利益があるとされ、一日で巡れる手軽さもあって大坂町人のあいだで大流行しました。

 しかし、明治元年(1868)の神仏分離令によって神社から観音さまが移されたことがきっかけとなり、さらには戦災のため大半の寺院が焼失したことが決定的な打撃となって、戦後すぐは廃れていました。

 平成8年に市民運動が盛り上がって「大坂三十三ヶ所観音巡り」は復興され、各寺院・神社に共通の石碑が置かれました。当寺においては平成11年、大本山須磨寺大仏師である山高龍雲先生による観音さま(高さ2m35cm、台座含む)を再興いたしました。

曽根崎心中~観音めぐり~

 『曽根崎心中』は近松門左衛門(1653-1724)の浄瑠璃(三味線伴奏の語りもの音楽)です。元禄16年(1703)4月、大坂内本町・醤油屋平野屋の手代であった徳兵、堂島新地・天満屋の遊女であったお初、その二人が曽根崎天神の森で情死する事件がありました。事件を題材として翌月には道頓堀・竹本座で浄瑠璃が初演され、はじめての世話物(当代の出来事を扱ったもの)として近松門左衛門の代表作となりました。

 「観音めぐり」は冒頭に描かれ、当寺も第九番札所として登場します。遊女・お初が運命に思いを馳せながら三十三ヶ所の観音さまを巡る姿は、結末への重要な伏線となっています。また、近松門左衛門のあたかかな眼差しが感じられる場面でもあります。